なんか言いたい。

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【感想】ネバーランド/恩田陸【少しネガティブ】

ネバーランド恩田陸

・ホラーじゃなかった!

恩田陸ネバーランドを買ったよ」と友人に伝える。

ネバーランドはホラーだ」と言われる。

ホラーは怖い。だから買って暫く読まなかった。

そうしてそのまま何年も本棚の肥やしと化していた哀れな一冊を、ある種の後ろめたさによって今になって読むことにした。

 

僕の友人は嘘つきだった。

 

ホラー要素、まあ確かにぎくっとする描写はところどころあるものの、お化けが出てくるということはない。もっと早く読めばよかった。

 

・教訓じみた物語構造

・「ネバーランド」の概要&分析

この物語は、うーん、まあ、面白い。「面白い」、というのは物語の中の物語についてそう言っているにすぎないのだけれど。つまり、美国や光浩や統らのエピソード自体は面白いし、彼らが松籟館で過ごす冬休みはとても楽しく、切実で、どこか寂しくて、魅力的だ。そこは肯定する。「夜のピクニック」然りだけれど、そうした登場人物の背景や、人物同士の関係性を描く技術は素晴らしいなあと思う。

 

でも、この物語の設定自体が、個人的には少し嫌いだ。それについて多分語ることになるので、今日は特に宣伝はしようと思っていない(笑)

まずタイトルの「ネバーランド」。なぜ「ネバーランド」と付けたのか、と考えれば、言うまでも無くこの物語の舞台である高校の男子寮「松籟館」を「子供でずっといたいと願う場所」として作者が考えたからだろう。

というのも、主要な登場人物である美国と光浩と寛司は、みな家庭というものに対するある種の嫌悪感を持っており、それが理由で、冬休みに入って多くの生徒が帰省しても、彼等は家には帰らず松籟館に残る。つまり、各人が向き合いたくないものから逃げた先が松籟館なのだ。もちろん、口では「大人」になりたいとか、成長したいとか、そういう言葉を発するわけだが、しかし解決しなければ大人になれない=成長出来ない、そんな問題を放置している時点で、松籟館はネバーランドと化すのだ。

ちなみに統は松籟館にではなく、外で一人で住んでいる。なぜ統は松籟館に住んでいないのか(設定として)。それは、彼が自分の問題としっかりと向き合おうとしているからだ。松籟館で四人で秘密を言い合うということになったとき、真っ先に秘密を打ち明けたのは統だったし、彼は父に付いて行ってアメリカで勉強することを決断するが、こうした大きな決断は統しか行っていない。その意味で彼はネバーランドの住人ではないのだ。

 

しかし、松籟館は社会である。他者の欲求や主張に自分が晒される。その中で、自分の欲求や主張を前面に出さなければ自分の利益が失われる。当然、対立が生じる。その一方で、友情というものも芽生え、互いに相手を思いやり、だからこそ自分の意見を率直に伝えなければならない、この相手になら真実を伝えても大丈夫、と言った考えが生まれる。

言うまでも無く、これは成長である。そしてその帰結は、やはり彼らがそれぞれ逃げてきた問題に対して向き合うことになる、ということだ。

 

だから、この観点から物語をまとめてしまうのであれば、美国・光浩・寛司は、向き合いたくないものから逃げるために松籟館にやって来たにも関わらず、松籟館は成長を促す社会であり、最終的に向き合いたくないものに向き合えるほど三人は逞しくなって終わり、ということになる。

 

・登場人物の「リアル」が欲しい

別にいいんじゃない?いいお話でしょ?

と、思わないわけじゃないんですが・・・どこかに残る違和感。

 

多分、「向き合おうとする」、で終わっているからかなあ。

つまり、登場人物にはそれぞれの個性があるのだから、そこに深さを加えるためには、「いかに向き合って、その結果どういう人間になったのか」というところまで書かなければいけないのではなかったのか。エピローグがあるだけで全然違ったのではないか。

そう言う意味で物足りなさを感じてしまったのかなあ、と思う。

これだけだと、「みんな逃げてる弱い子供たち。それが集まってだんだん逞しくなって、逃げずに立ち向かうことが出来ました。ちゃんちゃん。」というひどく抽象的で教訓的な話で終わる気がするのだ。

 

その意味で、こちら!

 

【感想】冷たい校舎の時は止まる / 辻村深月 - かんそう!!~小説読書感想、書評ブログ~

 

この作品の方が、一人ひとりの過去や、そこに根拠を持つトラウマなどがしっかり描かれており、最終的にはそれぞれの「道」を示して終わっているという点で、リアリティが強いのではないだろうか。

 

ということで、それでは!!