又吉「火花」を読んでない人は損をしてると言いたい。
ども。
ご無沙汰しておりました。仕事を口実に、さぼってました。へへ。
その仕事でですね、週末にちょっとやらかしてしまいました。
「あー、週明けに顔出すのが怖い!
じっとしてると怖くなってくるから、ブログでも書くか、うん!」
ってことでこの記事書いてるなうです。あーでもやっぱ怖い。
ところでみなさん、
「火花」、読みました?
ピース又吉がこれでなんかすごい賞取っちゃった小説。
増刷に増刷に増刷!って感じに、かなり話題になってるこの小説。
そんだけ話題になってるわけなので、読んでる人はケッコー多いと思います。
「まあ、話のネタになるし、さくっと読んでみるか~」
「お笑い芸人の話らしい(後で説明します)し、難しい話じゃなさそうだから読んでみようかな」
とか、そういう軽い気持ちで買ってみたって人も多そう。じっさい僕の周りにもいます。
ただ、その一方で
「は?又吉とかどうでもいーし。どうせ話題性で賞とっただけでしょ」
「流行に乗っかってるって思われるの、はずかしい…」
って言う人もいるかもしれません。
もしいるのなら、それ、
MOTTAINAI !!!!!
うざいですか?
もう一度言います。
MOTTAINAI !!!!!
こんなにうざいテンションで平気で文章を書いていけるくらい面白かったんです。
何がおもしろいのかって言うと、芸人×純文学はズルい。
ってことなんです。
この小説が獲った「芥川賞」、これは若手小説家の純文学作品の中から審査して選んでるんですよ。で、「純文学」って難しい言葉がたくさんあったり、展開がなんか盛り上がんなかったりで、「読みづらい」部分があったりする(そこまで小説読みまくってない人にとっては)。だけど、なんだか余韻がものすごく後まで残ったり、深く考えさせられたり、そういう良さがある。(ざっくりとね、ざっくりと)
つまり深いけど、つまんない。
そういう、「硬め」な小説の賞が芥川賞だとすると、「柔らかい」小説に与えられるのが直木賞。エンタメ系で、純文学に比べると面白いけど深みがなかったりする。(ざっくりとね、ざっくりと)
つまり浅いけど、オモシロい。
で、ですね。
「火花」はお笑い芸人を主人公に据えた純文学なんですよ。
「火花」はお笑い芸人を主人公に据えた純文学なんですよ?
深い。そしてオモシロい!
主人公である、お笑い芸人の徳永が、先輩芸人の神谷を師匠と仰ぎ、神谷のお笑いに対する哲学を間近で学ぶ。しかし徳永にはその哲学を実践するほどの才能も勇気もない、にも関わらず、弟子である徳永のコンビ(スパークス)が売れ始め、師匠である神谷のコンビ(あほんだら)はいつまで経っても日の目を見ない。師匠は本当にすごい、だけど、そんな哲学じゃ食っていけない、食っていけないってことは面白くないってことなんじゃないのか。そんな生臭く、そして切実な徳永の葛藤が描かれている。人を楽しませる、笑わせるとはどういうことか、それ以上にお笑い芸人として人生をどう歩んでいくべきなのか、ピース又吉の価値観が読み取れるように思う。
とはいえ、話題はお笑い。徳永と神谷の会話の80%(言い過ぎかも)はボケとツッコミ。フツーに笑える。活字になっても漫才ってオモシロいんだなーと素直に思える。つまり、変に小難しい感じがまったくしないのがすごく心地よい。
そして、さすがお笑い芸人って感じなんだけど、ちゃんと話にオチも付いてる。さっき書いたように、純文学って展開がこぢんまりとしててとっつきにくかったりするんだけど、この小説に関してはエンタメの展開と遜色ない。
だからまあ、うん。
ホントに面白いの…?って不安な人には「心配すんな!」と言いたいし、
流行りに乗っかるのはちょっと…って人には「カバーかけろ!」と言いたいです。
長々と書いてみたけど、やっぱり週明けの職場、こえー。
おわり。