【安保が可決されて】政治に対する関わり方を、若者は反省すべきだと思う
今日はマジメなお話を。
本日2015年7月16日、安保保障関連法案が衆議院で可決された。
与党は強行採決に踏み切り、5つの野党が採決を拒んだものの、過半数を占める与党の賛成によって、法案は通過。
しかしまだ参議院がある、そこで否決されれば…
残念。参議院で否決、若しくは議決されなかったとしても、再採決によって衆議院で3分の2以上の議席を持っている与党が法案を成立させることが出来るので、もはや安保法案の成立はほぼ確定なのだと言う。
会期最終日の9月27日までに、安保法案は成立する。
なんだそれ。なんか変だよ。
メディア系で働き始めて少しは時事に明るくなってきたとはいえ、政治のことは良くわかってない。だから今回の安保法案が本当に「戦争法案」なのかどうかもよくわからない。
だけど。
なんのための「間接民主制」なんだろう。国民の声を代表しているのが政治家だと小学校の頃から教えられてきたんだが?
どれだけ反対の声が上がっていたことか。
安保反対デモは反原発デモと同等の規模で行われていた。それだけじゃない。以前の記事にも書いたように、多くの若者までもがデモに参加していたんだ。
憲法学者ら会見、強行採決に反対 「違憲、重大な欠陥ある」:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)
そして、実際にどれだけの憲法学者が反対していたかというと。
(報道ステーションのWebサイトより。http://www.tv-asahi.co.jp/hst/info/enquete/)
野党の反対の仕方もすごかった。プラカードを国会内で掲げてるところなんか初めて見たよ(普段見てないだけかもしれないけど)。そして民主党の辻本議員があまりにも痛切な表情で「やめて」と手を合わせて頼み込んでいたのを見て、言葉にならない感情を抱いた。
別に民主党を支持してるわけじゃない。本当に政治のことについては疎い。でもこうして議員も国民も学者も、みんなが大反対の声を上げてるのを、自民党はよくもまあ無視出来るな、と思う。安保法案の中身の是非を抜きにしても、「恐らく国民の大多数が反対しているはずの法案を強行的に成立させる」という行為それ自体が気に食わない。
…でも、でもだよ。「気に食わない」って言っているだけじゃ何の意味も無い。生産性が無い。だったら敢えて、「僕達自身に非があったんだ」と、そう考えてみるのも悪くないんじゃないか。
僕は冒頭で、
「なんのための『間接民主制』なんだろう。国民の声を代表しているのが政治家だと小学校の頃から教えられてきたんだが?」
と批判した。
でも、この前提がそもそも間違っているんじゃないだろうか。つまり、結局は「法律を考え、作り、成立させるのは、『立法府』である国会に参加できる国会議員であって国民じゃない」という前提が正しいんだと思う。「思う」っていうか、事実だよね。教科書で教えられているだけで、「本音」と「建て前」は違うってことに今まで気が付かなかった。
…気が付かなかった?
違う、「忘れていた」だけなんだ。
日本人は50年以上も前に同じ目に遭っていたのを僕達は知っている。
安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)の与党自民党による慎重審議なくして強行採決を行ったことに関して反発した国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争である。
「同じ轍を踏むな」、なんてあんまり大きな声で言えなくなってしまった。僕達はガッツリ同じ轍を踏んでしまったんだから。
僕達は反省すべきなんだ。本当に、反省すべき。
3分の2以上の議席を与党に持たせてしまえば、僕達がいくらデモをしようが、学者が違憲だと表明しようが、女性が泣きわめこうが、そんなことは痛くもかゆくもないんだ。「決めるのは私たちです。歴史に名を残すのは私たちです」ってニッコリ笑って法案にハンコを押すんだ、彼らは。
何もかもが手遅れになる前に、僕達は選挙にしっかり向き合うべきだし、選挙制度についても学ぶべきだ。手遅れになってからデモをやったって意味が無かったんだから(少なくとも安保法案を止めるという目的に対しては)。
政治に対する関わり方を、若者は反省すべきだと思う。