なんか言いたい。

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「デモ」に興味ゼロだったはずの日本の若者が突然やりまくり出した理由を考えてみた

「若者なのに、なんで!?」と思ったニュースがある。

それは、「若者が急にデモをし始めた」ということ。

 

「戦争するな」 3500人コール/若者憲法集会 渋谷デモ

若者2200人京都でデモ/僕らは銃 握らない

19歳フリーター、デモ初企画 戦争怖くてふるえる 26日札幌 | どうしんウェブ/電子版(社会)

 

「日本の若者」と言えば、「全然デモ行かないよねえ~」っていうイメージが社会的にも広く共有されていたように思う。

少し前の記事から「日本 若者 デモ」で検索をかけると、そんなイメージを前提にした記事が沢山出てくる。以下はその中の一部。

 

立ち上がらない日本の若者:日経ビジネスオンライン

日本の若者はなぜ立ち上がらないのか 内田樹×城繁幸×原田泰×山田昌弘 :日本経済新聞

日本の若者はなぜデモをしないのか・・・「偏差値」的価値の一元化: 阿QのBook Review

 

反原発デモ」は、規模的に言えば「万」単位なので非常に多い。だけど、上のような記事が出たのは2011年3月11日以降。つまり、反原発デモという国民的とも言える大規模なデモにすら、若者はあまり参加しなかったことの証左かもしれない(データが無いのでわからないけど、今回は「とりあえず」そういうことにして話を進めます)。

 

個人的にもそのイメージは共有していた。政治に強い関心がある20代なんて、肌感覚で1%もいないと思う。というか、デモに行ったなんて知り合いは一人もいない(今回の戦争デモに行った人もいないとは思うけど…)。

もちろん、今回の一連の安保法案反対デモだって、若者のごくごく一部が動いたものに過ぎないから、これを以て「若者がデモをするようになった!」とは言えない。

 

それでも、「若者が中心となって立ち上げた」、「大規模な(1000人以上)」「デモ」が「3度も続いた」ことは、2000年代に入ってから無いんじゃないかと思う。(ここで言う「若者」は、まあ大きく見て30歳未満、としましょうか)

 

こんな記事があるくらいなので、多分そう。

社会革命の時代だった1960年代、世界各国で学生、人権活動家、反戦活動家たちが政府に対して立ち上がった。日本も例外ではなく、数十万人が1960年に締結された改定日米安全保障条約に反対し、街頭でデモを行った。日本ではこの安保反対デモを最後に大規模な抗議行動は行われてこなかった。

http://www.cnn.co.jp/world/30007413.html

 

「日本ではこの安保反対デモを最後に大規模な抗議行動は行われてこなかった」わけです。

とはいえ、「大規模」がどれくらいを指すのかわからないので、本当に若者は大きなデモをしてこなかったのか確認してみよう。以下は2000年から2014年までの範囲で、Googleニュースで「若者 日本 デモ」で検索した時の上位20ページの中から今回のテーマに関係しそうな記事を集めたもの(2000年にした理由は、きりが良いのに加えて、今30歳の人が15歳になるのが2000年で、デモに自発的に参加する可能性が出てくるくらいの年齢かなっていうところ。なおかつ2000年生まれの子が今15歳でちょうどいい)。

 

・2012年12月に起きた、「小選挙区制に対するデモ」の記事。これは京都で若者50人くらいが参加したとのこと。安保法案反対デモが京都で行われた時、若者は2200人集まっている。Google検索「小選挙区制 デモ」で見た限り、他の場所では行われていない。

小選挙区制おかしい! 若者がツイッターで呼びかけデモ | 京都民報Web

 

・2013年の春には、「嫌韓デモ」が発生したけれど、若者が中心となっていたわけではない。まあ件数はバカ多いけれども、新大久保で局地的に吹き荒れてる竜巻みたいなものですし、なんか「アレ」なので問題にしません。

嫌韓デモに抗議活動活発化 「日本も捨てたものじゃない」の声│NEWSポストセブン

 

・「就活くたばれデモ」なんてものもありました。

http://www.j-cast.com/images/2010/news58578_pho01.jpg

「就活くたばれデモ」東京でも開催 2ちゃんとグーグルが学生をつないだ : J-CASTニュース

 

まあ、これも参加者100人未満ですから、はい。

 

パッと見て関係しそうなデモを選んでも、こんなもんです。本当に参加してない(反原発については実際のところがわからないけど、この記事では上に挙げたサイトの前提を受け入れることにしています)みたい。

 

 

 

事実確認はこれくらいにして、じゃあ「なんで今までデモに参加してこなかった若者が、急にデモに行くようになったのか?」という疑問が浮かぶ。その答えとして僕も共感できるのが、以下の引用文だ。「なぜ若者はデモをしないのか?」という問いに対して、「現状に満足しているから」と社会学者である古市氏が答えた中でのコメントだ。

内閣府の『国民生活に関する世論調査』によると、2010年時点で20代男子の65.9%、20代女子の75.2%が現在の生活に満足していると答えています。同じ調査で40代は58.2%、50代は55.3%まで満足度が減る。時代をさかのぼって1960年代後半には20代の満足度は60%程度、1970年代の20代だと50%程度にすぎない。過去40年間で最高に満足度が高いという結果が、他の調査などでも明らかになっています

(中略)

大沢氏によると、人は『将来はより幸せになれるだろう』と考えたとき、現在の生活に満足できないと感じる。一方で自分はこれ以上幸せになるとは思えないとき、今の生活に満足する。将来に希望を持てないからこそ、今に幸せを感じるという現象が起きているのではないでしょうか

http://www.nikkei.com/article/DGXBZO36362540Z01C11A1000000/

 

これまで話題に上ってきたデモというのは、全て「社会を変えたい」という欲求から出てきたものだった。しかし、引用にもあるように若者は現状に「なんだかんだ」満足しており、社会を変える必要性を強く感じていない。わざわざ知らない人の中に混ざって、プラカードぶら下げて声を上げながら街中を歩き回るほどには。

その一方で、今回の安保法案反対デモは、「社会をそのままにしておきたい」という欲求から生まれている。「現状に満足しているんだから、戦争に行くなんてことになったら今の生活が台無しになるじゃねえか」という怒りや不安に基づいていることが容易に理解出来る。

 

こうして考えてきた中で僕が感じたことは2点ある。

一つは、「若者も、必要とあれば政治にちゃんとコミットすることが出来るんだ」ということ。ここでいう「ちゃんと」というのは、自分なりに考えて、行動にまで移すことが出来るということ。まあ、自分にとって必要だと思う事なら行動出来る、なんて当たり前のことではあるけれども、「政治」と「若者」がイメージの中で隔絶していたので、やはり意外だった。

もう一つは、「若者に、戦争の恐ろしさがしっかりと根付いている」ということの安心感だ。よく言われることに、「戦争体験者が寿命を迎えて皆いなくなってしまったら、戦争を知らない世代がまた同じ悲劇を繰り返すようになるのでは」という悲観的な推測がある。しかし、今回のデモはそうした懸念を払拭する強い材料となるのではないだろうか。もちろん、特段僕が戦争や社会というものに対して深く調べ考えてきたわけではないし、「若者が反対デモをするようになったからと言って、戦争に対する恐怖や嫌悪感が社会全体に共有されているとは言い切れない」のもわかっているし、「恐怖や嫌悪感が社会全体に共有されていたからと言って、戦争を起こさないとは限らない」こともわかっているつもりだ。それでも、腰の重い若者たちの中には、「戦争」という概念にリアリティを敏感に嗅ぎ取ることが出来る人がそれなりにいるんだとわかったことは、個人的にはとても嬉しいことだった。