高慢と変態

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コンビニの山口さん(10分程度)

自動ドアが開く音と共に、客の来店を告げる陽気な電子音が鳴った。冬の冷たい風が吹き込んでくる。

 夜の闇から姿を現したのは、50代くらいの男の人だった。厚手の黒ジャンパーにダボッとしたズボン。2時間ぶりの客だ。彼は僕が立つレジに真っ直ぐにやって来る。突然の事態で、動揺を隠せない。客はレジの前まで迫り来る。接客、するしかないよな。

「い、いらっしゃいませ...はい、メ、メビウスを二箱ですね...
...こちらの煙草でお、お間違いないでしょうか?.
...では画面の方にタッチをおねがっ、
あ、はい、ありがとうございます...

では...えー、お会計が860円になりま、
あ、はい、ちょ、ちょうどお預かりいたします...
あ、ありがとうございました!
ま、またお越しくださいませえ!」

 ふう。客が再び深夜の暗闇へと消えて行くのを目で追いながら、僕は短く安堵の溜息をつく。こんな時間に客が来るなんて珍しいこともあるものだ。

深夜3時。最寄駅から徒歩20分のコンビニエンスストア。県道の脇に、ガソリンスタンドと牛丼屋とに挟まれて、佇んでいる。
昼間こそ交通量が多いものの、トラックの運転手が働き出す朝方になるまで、夜中は殆ど車が通らない。住宅街からも離れているので、徒歩の客は尚更来ない。結果、ここでの夜勤は、客と殆ど関わらないで済むのだ。




 あれは僕がまだ自転車を愛用していた、夏真っ盛りの一日のことだ。僕は大学一年の頃、自転車で大学まで通っていた。終電を気にせず、深夜まで飲んでいられるからだ。一時間もかけて通学するのが馬鹿馬鹿しくなって、秋からは電車通学に変更したのだけれど。
 友達四人と大学付近の市民プールでさんざん遊んだあと、そのプールから近い友達の家で深夜まで飲んでいた。次の日に午前中から用事があったので、ぎゃあぎゃあと盛り上がっている友達を振り切って、ひとり帰ることにした。

 からからと鳴きながら回る自転車を漕いでゆっくり進む。誰もいない深夜の街を走るのは最高に気持ちが良かった。酔いが抜けきっていない僕は、馬鹿大きな声で歌ったり、ふらついて電柱にぶつかったりしながら夜の道を泳いだ。

 途中の交差点で、この昂揚感をもう少し味わうために遠回りをしたいという欲求と、引っ越してきて間もない街を探索しようという好奇心のために、本来は右に曲がるべきところを直進した。しかし、酔っ払いが知らない道を通って、自分の方向感覚を頼りに自宅に辿り着けるはずがなく、僕は完全に迷子となった。自宅の方角を推測しながら自転車を走らせ、何か見知った場所にいつかは出るだろうと思っていたが、走れど走れど見知らぬ光景しか現れなかった。かれこれ1時間以上熱帯夜の街を彷徨っていたので、Tシャツが背中に貼りついてしまうほどに全身から汗が噴き出し、息も切れ切れ、喉はカラカラ。僕の身体は砂漠みたいになった。

 大通りに出ればコンビニの一つや二つもあるのではという希望的観測のもと、僕は自宅の方角など無視して、ひらすら大通りに繋がっていそうな道だけを選んで走った。至急体内に水分を取り込まなければ、という生存本能だけでペダルを踏み込む。
 右、左、左、斜め右...そして次の十字路を左に曲がると、神のお恵みか、100メートルも離れていない場所にコンビニがあるではないか!僕は殆ど残っていない体力を振り絞り、煌々ときらめく希望の光に向かってペダルを漕いだ。


 駐車場はかなり広かった。この県道沿いをもう少し行くと、高速道路の入り口があるのだが、朝方には大量のトラック運転手が朝飯やら渋滞中の暇つぶしのための雑誌を買いに、ここのコンビニを利用するから広くないといけないのだ、というのが後になってコンビニのオーナーから聞いた理由だ。

 自転車を止めて店内に入る。自転車を長時間乗り回して汗だくになった身体が、店内の冷房で一気に冷やされ、僕は生き返った気分だった。有線から有名アイドルの新譜が流れていた。僕はJ-POP、特にアイドルの曲は毛嫌いしていたのだが、この時の僕にはオアシスで演奏される天使たちの歌声にしか聴こえなかった。

 ふと視線を感じてレジの方へと顔を向けると、ぽつんと立っていた店員があっけに取られた表情で、こちらを見ていた。おにぎりの品出しをしていたもう一人の店員も、驚いているような、不思議なものを見るような目で僕のことを眺めていた。「なんだろう」と思ったが、ご機嫌な僕はすぐに「まあいいや」と思い直して、ドリンクコーナーへと向かう。棚から迷いなくスポーツドリンクの500mlペットボトルを一本取り出して、レジへと向かった。

「すいません、〇〇町って、ここからどうやって行けばいいですかね。道に迷ってしまって」

 運動のおかげで既に酔いは完全に醒めていたものの、辺りが見知らぬ街であることに加え、スマートフォンの電池は飲み会の時に切れており素面でも帰りようがなかったので、買い物ついでにレジの店員に聞いてみた。しかし先ほどの表情は来店客を見る表情にしては明らかに失礼、というか奇妙だったので、もしかすると変な人なのかもしれないと思った。
 まともな回答が返ってくるという期待はしないでおいたのだが、店員は、「ああ~」と納得して、急に晴れやかな表情になった。頭はスポーツ刈りをもう少し長く伸ばした程度で、白髪が少し混じっていた。
 そして奇妙なことに、彼のあごには髪の毛よりもずっと長いひげがもじゃもじゃと育っている。かの有名な田中正造の写真を思い出して頂けるとわかりやすいと思う。大正時代の悲劇の英雄が、こんなところでレジ打ちとは。

「そういうことでしたか。いや、この辺りって夜中はほとんど人が通らないんでね、こんな時間にお客さんが来ると、逆に珍しいんですよ。はっはっ」

 店員さんは独特な感じで笑いながら、そして自身のあごに生えた長いぼさぼさのひげをいじりながら、さっきの驚いた表情の理由を説明してくれた。そして丁寧に家までの道順を説明してくれた後で、心配だから、と地図まで書いてくれた。正確な地図のおかげで、一度も迷わずに帰りつくことが出来た。

 地図に示された道順通りにコンビニから家まで帰ってくるのに、せいぜい10分程しかかからず、このコンビニが実は家からそう遠くないことがわかった。生存本能のおかげかどうかはともかく、うまいこと自宅の方向には進んでいたらしい。
 当時僕は、親からの仕送りだけでは遊びに使うお金が足りず、アルバイトを探していた矢先だった。あそこのコンビニなら家から近いし、夜勤は客が殆ど来ないからめちゃくちゃ楽だなと思い、その翌日にバイト応募の電話をかけた。それから既に2年以上もここでお世話になっているというわけなのだ。




 そして、この親切でひげもじゃのおじさんが、今日の夜勤で一緒になっている山口さんである。田中さんでも正造さんでもなかった。
 客のいない店内で、僕はレジ回りの備品の整頓・補充をし、山口さんは深夜3時の廃棄チェックで消費期限が切れたパンがないか探している。山口さんが顔を上げてにっこりしながら話しかけてきた。

「いやぁ~はっはっ。さっきのおじさんびっくりしたね。唐突におじさんが出現したらびっくりするよねぇ~」
「しかも店入ってすぐこっち来たんで、少しテンパっちゃいました」
「少しじゃなかったよ~?ニュースなら放送事故レベルだよ~はっはっ」

 2年も同じことを繰り返しているから、ルーティーンは完璧に、素早くこなせるようになった。だけど、コンビニのアルバイトにおける最大の不確定要素は「お客」だ。僕はお客が想定外の行動に出ると、焦って何もできなくなってしまうのだ。僕がそうやってパニックになる度、山口さんは今のように、高らかな笑い声を店内に響かせるのだ。

 山口さんは長い顎ひげを右手の人差し指にぐるぐると巻きつけてはほどき、巻きつけてはほどき、とかやりながら、廃棄チェックをするのが癖だ。廃棄チェックとは、商品として販売できる期限が過ぎてしまったものが商品棚に残っていないかどうかチェックをし、発見した場合には取り除く、という業務である。期限切れ商品を発見すると、一瞬ピタっと巻きつけの作動が停止するのが面白い。勿論こんなコンビニ店員、うち以外で見たことない。

 その山口さんがお弁当の廃棄チェックをしながら、また僕に話しかけてきた。

「本田君、時々ね、なんだか申し訳ない気持ちになるんだ」
「何がですか?」
「廃棄になるお弁当とかに申し訳ないんだよ」
「ああ、そうですよね。まだ食べられるのに、勿体ないですよね、ほんと」
「いやいや、はっはっ。僕のはまたちょっと違くてね」
「はあ」
「廃棄商品の僕に廃棄される食品て、なんか気の毒だなって。はっはっ」
「山口さんて廃棄商品だったんですか」
 冗談で言ったつもりだったが、真顔で「うん」と答えられた。


「僕はね、7年前に、前に務めていた会社でリストラを受けてね。退職金は沢山もらったけど、やっぱりそれだけで死ぬまで安泰なわけもないじゃない?」
 山口さんは小さく「はっはっ」と笑った。

「だから新しい職場を探して、面接も色々受けたんだけど、うまくいかなくてね~。かみさんには娘連れて出て行かれちゃったよ。」
 さっきよりも小さい声で「はっはっ」と笑った。

「一人でもやっぱりお金は必要だから、ここでアルバイトをするようになったのさ。はじめて廃棄の仕事をやった時、僕は思ったよ。ああ、僕はこいつらの先輩だって。こいつらより一足早く廃棄された商品だったんだ、ってね。ま、廃棄されたからもう商品じゃないんだけどね。はっはっ」
 やっといつもの笑い声に戻る。だけどひげを巻きつける仕草は止まっていた。
 僕は黙っていた。



 山口さんは商品棚のチェックを終え、廃棄物の情報を本部に送信するために、バックヤードに入って行った。僕は煙草の補充を始めた。

 山口さん、離婚してたんだ。ていうか、結婚のことすら知らなかった。しかも娘さんまでいるなんて、正直想像がつかない。恋愛とか興味ない人だと勝手に思い込んでたから、その先の結婚・子供の可能性なんて考えたこともなかった。しかも自分のこと、廃棄商品って。自分でそんなことを言う気持ちは、よくわからないけど、きっと辛いだろう。
 ...でも待てよ。僕はどうなんだ。もうすぐ就職活動が始まる。つい最近まで一緒に馬鹿騒ぎしてた友達が、いつの間にか試験対策の勉強を始めているのを見ると、焦らないと言ったら嘘になる。就職できずに、やむを得ず留年して卒業を延ばす先輩もいる。もし、就活に失敗して、どこの会社も僕を雇ってくれなかったら。僕は、一度も商品になれずに朽ちていく可能性だってあるわけだ。

 なんだか先が思いやられるな...いや、始まる前からこんな弱気じゃあ、成功出来るはずのことも失敗するに決まってる。もっと自信を持とうじゃないか。正直に言うと、通っている大学は有名校だし、僕の履修成績はそこの学生の中でもかなり良い。今からしっかり対策をしておけば、きっと良い会社に入れる。山口さんには少し後ろめたい気がするけど、僕は立派な商品になって見せます。


 その時、またピコピコした電子音と共に、自動ドアの開く音が聞こえた。振り返ると、上下黒ジャージで、マスクをした40代くらいの男性が店内に入ってきた。
 僕は少し驚いた。さっきのお客が帰ってからまだ1時間も経っていないからだ。そんな頻繁な来店など、僕がここでバイトを始めてから4、5回しかなかった。
 僕があの夏の夜に山口さんから向けられた奇妙な驚きの表情を、今度は僕がお客さんに向けてしまっていた。マスクによって強調された目が、鋭かった。先ほどのおじさんと同様、その人も真っ直ぐにレジに向かってくる。たぶん、煙草だろう。若しくは、失礼な表情で見つめてしまった僕に文句でも言いに来るつもりかもしれない。でも、そんなのどうだっていい、今度は落ち着いて対処してやる。就職活動の面接なんか、この何倍緊張するかわからないんだ。圧迫面接だったら何十倍かもしれない。こんなところで失敗してちゃいけない。
 僕の優秀さと強い精神を証明するんだ!

「いらっしゃいませ!」完璧な挨拶、そしてさっきの失礼な表情を帳消しにして余りある笑顔。これは上手くやれそうだ。
「煙草でございますか。銘柄はどちらになり...ひいっ!」
突然、男はジャージのポケットからナイフを取り出し、僕の顔に突き付けてきたのだ。
「レジの金を全部出せ。変な事したら刺すからな。わかったら急いでやれえ!」
あまりに想定外の事態に、頭の中が真っ白になる。状況が掴めない。呼吸が速くなり、鼓動は音が店内に響き渡るのではないかというくらい激しく打っている。そそ、そうだ、お、お金を渡さなきゃ!レジを開けようとするのだが、手の震えが大きすぎて、うまく操作が出来ない。
「何ちんたらやってんだよ!ああ!?殺されてえのかてめええ!」
更にナイフを近づけられる。刃はもはや目の前に迫っている。それが更に恐怖を増大させ、僕はもうパニック状態になってしまった。何をすれば良いのかさっぱりわからない。ただ、ひたすら、死にたくない。

 その時だった。バックヤードがバタン!と開いたかと思うと、

「うおおおおおおお!!」

 と雄叫びをあげながら山口さんが走って出てきた。頭にはヘルメット、上着は冷蔵庫内作業用の分厚いジャンパー、そしていつも顎ひげをいじっている右手には強盗用に設置されていた警棒が握られている。
 完全武装した山口さんは、驚いた様子で振り返った強盗へと、全速力で向かっていく。そして残り2メートル程のところで、両足で踏み切って思いきりジャンプした、それも水平に!
 ロケット弾のように強盗へと飛んで行く山口さん。そのヘルメットの装着された弾頭が、強盗のみぞおちにめり込み、次の瞬間、天下一武闘会を彷彿とさせるかのごとく、強盗はレジを越えて吹っ飛び、けたたましい音を立てて煙草の棚に激突した。

 強盗はレジの床に倒れたまま、動かない。気絶したようだ。そして、突進の衝撃は自分にも跳ね返ってきているのだろう、レジ台に腹を乗っけてだらんと垂れ下がっている山口さんも動かないままだ。しかし、こちらは肩で息をしていることから、意識はありそうだった。
 僕はその一瞬の壮絶な出来事を、ただ立ち尽くして眺めていることしか出来なかった。


 それから間もなく、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。三人の警察官が、ぐったりとしている強盗を頑張って車へと担ぎ込んでいった。どうやら山口さんが、あの捨て身ロケットを敢行する前に警察に通報していたらしい。
サイレンが遠ざかって消えかける頃、「よっこらせ」とレジ台から漸く降りて、立ち上がった山口さん。両方の鼻の穴から血がたれていた。

「いやね、ここ、深夜はお客が滅多に来ないじゃないですか。だから強盗の狙いになりやすいんですよね。本田君がやって来る前にも、二回経験してますからね。もう慣れたもんなんですよ。まあ、怖かったですけどね。はっはっ」
そう言って、やっぱり右手の人差し指に顎ひげを巻きつけている山口さんは、どこか誇らしげだった。とんでもない人だ、と僕は思った。


 何事も無かったかのようにバックヤードに戻ろうとする山口さんを呼び止める。
 僕はさっきまでの自分の浅はかさを反省していた。

「山口さん」
「はい?」
「山口さんは、廃棄商品なんかじゃないですよ」

 山口さんは少し驚いたような顔をしたが、また「はっはっ」と笑って、山口さんはドリンク整理のために、冷蔵庫へ入って行った。

 バイトから帰ってきた僕は、こっそり持ち帰ってきた廃棄のお弁当を温めて食べた。おいしかった。

 

 商品だろうが、廃棄だろうが、どっちでも良いんだ。中身が美味しいかどうかなんて、貼られたラベルでわかってたまるか。
 僕も、山口さんのように美味しいお弁当になりたい。


 そうそう、山口さんが右手に持った警棒が結局何の役にも立たなかったことと、強盗が吹っ飛んだとき、持ってたナイフが僕の頬を掠めて飛んで来たことは、山口さんには内緒にしておいてくださいね。