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【レビュー】「正義と微笑/太宰治」―少年の成長を描く日記小説【明るい】

太宰にしては明るい異色作

1.太宰にだって「奇跡も魔法もあるんだよ」(by美樹さやか

太宰と言えば、

「暗い」「鬱」「自殺」「道化」「人間失格

 と言ったあたりが、一般的な人々が彼について語る際の頻出単語になるだろうか。

そのイメージは間違いとは言い切れないけれど、単純な事実として言いたいことは、

 

 彼も人間でしょ?

 

 ということだ。

 「彼は生きるすべての時間が憂鬱に見舞われていた」とでも言うとしたら、それはかなり分の悪いギャンブルだろう。どんなに深く重い悩み事があろうが、時にはそれを忘れてしまったかのように明るい気分になれることがある。

 まあそんなことはどうでもいいし、「そんなん当たり前じゃんドヤんなよ」と言われそうだし、こんな下らない帰納法で命題の真実性を担保しようなどとも思っていないので、次に行こう。

 

 要は、彼の作品の中には「奇跡も、魔法も、あるんだよ」!と言いたかった。

 いや、これは全くの嘘である。ソウルジェムも無いしマミさんもマミられない。

 だけど明るい(と言っても留保付きで相対的ではあるけれど)作品は本当にある。それが今回紹介する「正義と微笑」だ。

(どちらかというと「まどマギ」は鬱作品なので繋がりが変になってしまった…)

 

2.「ロマンチシズムという名のナルシシズム」

これは日記形式の物語だ。16歳の少年が書く日記を、17歳になった年の年末まで、あたかもその日記を1ページ1ページ捲って行くように、わたしたち読者は途切れなく読んでいくことになる。

 

 この主人公である「進」は、 16歳にしては大人びた少年だけれども、「まあ所詮は16歳だな」と言ってしまえるような要素が多くある。

 例えば彼は宗教に入っているわけでは無いのに聖書を良く読み、キリスト教を学んでいる。日記の端々にも、福音書の一節を抜きだして、自身を鼓舞する箇所が見られる。また、ロシュフーコー(フランス近代のモラリスト、『箴言集』が岩波文庫から出ています)や『ファウスト』の一節の引用もあり、帝大には落ちてしまうもののR大(キリスト教を深く学べる、という発言から察するに立教だろうと思う)には受かっているし、当時でも突出した教養を培っていることが伺える。

 

 ところで、進は以前担任を務めていたが、他の教師との折り合い悪く辞職してしまった黒木という男を尊敬している。彼は最後の授業の際にこう言ったと、日記に記してある。

「日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。(中略)カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ」(P19)

  なるほど、良い言葉だ。進もこれを聞いて大変啓発されたことだろう。そしてこの言葉を日記に書き留めていることは、進が(ある程度)積極的に教養を深めようとする動機を示しているようにも感じられる。

 けれど、「心を広く持つ」ということについて反省する素振りはなかなか見られない。こうした有難いお言葉を日記に書き留めておきながらも、サッカー部の同期である梶について「意気地の無い奴なんだ」とか、少し学校でからかわれたりしただけで「学校へ行くのは、敵百人の中へ乗り込んで行くのと変らぬ」とか、ついこの間まで尊敬していた木村が紹介してくれた映画の面白さがわからなかったことで「あいつは、案外、子供なんじゃないかな?」とか馬鹿にしている。

 そしてまた、勉強にも一貫性がなく、ある日には代数をみっちり勉強したかと思えば、今度は図書館で借りてきた小説を適当に読みちらし、はたまた映画を観に行ったかと思えば、何も勉強せずにいる日もある。そして日記の日付も次第に間隔が空いていく。

 

 つまり、進は「ロマンチシズムという名のナルシシズム」に頼っているのだ。日記では良い言葉ばかりを書き連ね、「~しなければならない」と言った自己啓発的な口ぶりでしばしば高尚な思想に熱情をほとばしらせるものの、現実にはそうした思想を盾に取り、「俗物な」他の生徒よりも一段上に置いて、「あいつらは馬鹿だ」と見下すことばかりしているのだ。思想に自己を合わせるのではなく、自己の俗っぽい利益というか虚栄心のために思想を利用しているにすぎないのである。

 それは偏に、まだ「何事も成していない」若者が持つ「漠然とした不安」から逃れようとするためであるだろうし、自己主張や蔑みに溢れた未熟な社会である学校において自己を守ろうとするためでもあるだろう。その点で「若者らしさ、等身大の16歳」の在り様が感じられるのだが、しかしそのような態度は決して「心を広く持つ」ことには繋がらない。

 

3.進の成長の物語

そして再度この物語を別の観点からまとめるならば、「夢想的ロマンチシズムからリアリズム的ロマンチシズムへの成長の物語」と言えるだろう。

 進は結局R大を休学して、俳優の道を選択する。春秋座という、歌舞伎を基本的な公演題目とする劇団に入ることになった。そして、次第に現実というものの重要性を悟るようになる。

「ああ、そうだ。人間には、はじめから理想なんて、ないんだ。あってもそれは、日常生活に即した理想だ。生活を離れた理想は、――ああ、それは、十字架へ行く路なんだ」(P175)

 そして最後の日記ではこう締めくくっている。

「まじめに努力して行くだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らない事は、知らないと言おう。出来ない事は、出来ないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦なところらしい。磐の上に、小さい家を築こう」(P225)

 16歳の少年が17歳になり、そしてもうすぐ18歳になろうかという年末になってはじめて、本当に理想を実現させようと望むならば、現実の厳しさ、日々の生活の単調さというものと向き合わなければならないということを理解するのだ。

 

 もっとも、上の引用の中に「小さい家を築こう」とあるように、それは「日常生活に即した理想」であり、世界一の俳優になると言ったような大それた理想はもはや捨て去られてしまったのかもしれない。しかし、それを捨て去ったことで進が手にしたものは大きい。

 進は、春秋座に同期で入った扇之助や進をからかう先輩たちを、当初は腹の底では軽蔑していた。しかし、2か月の旅興行における成果が認められ、「小僧の神様」の朗読者や、幹部直属の企画部委員に推薦されてからは、「責任の重大を感じる」(P225)という言葉を記している。これまでの経緯を踏まえれば、現実での成功は己ひとりによってなされるものではなく、周囲の支援や信頼があって初めて叶うものであるということを痛感したからこそ書ける言葉だと言えるだろう。ロマンチシズムという名のナルシシズムにおいては言うまでも無く見えなかった景色だ。

 

 4.微笑もて正義をなせ!

そう、この作品は明るい。進が鼻くそをほじりながら(もちろんこれは比喩であるが)、ロマン主義の言葉を頻繁に唱えている頃よりも、そうした美辞麗句を並べ立てずに、ひしひしと努力していくラストが、力強い光を放っている。それは、最終的に進が現実と闘う厳しさを痛感しながらも、理想が持つ力を未だに信じているからに他ならない。

 

 最後の日記の中で、進は再びロシュフーコー箴言を引用する。大丈夫、黒木が言ったように、「心を広く持つ」ための、カルチベートするための鍬になっているよ、進君。

 

※余談(「坊ちゃん」が登場するぞ!)

この作品の中には多くの古典作品、というか太宰以前の作品が登場する。例えば上に挙げた小僧の神様であり、以前ブログで紹介した「坊ちゃん」である。

なんだか、現代人からすると夏目漱石太宰治も同時代人じゃね?と思われてしまうのだが、実際にはかなりの歳の差である(夏目漱石1867年、太宰が1909年生まれ)。

こういう時代の文学情勢を知れるのも非常に楽しい。

 

【感想】坊ちゃん / 夏目漱石 - かんそう!!~小説読書感想、書評ブログ~