高慢と変態

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「よつばと!」ってどうしてあんなに面白いのか真面目に考えてみた

突然ですが、よつばと!、良いですよね。ていうか、最高ですよね。

知らない方のために軽く説明すると、5歳の女の子小岩井よつばが、翻訳家だからいつも家で一緒にいられる父ちゃん、父ちゃんの友達のジャンボヤンダ、お隣の綾瀬家などの面々と過ごす日常を描いた、ほっこりとした、そして笑える漫画です。

 

よつばと! 1 (電撃コミックス)

 

作者は、本作と「あずまんが大王」などの作品で有名なあずまきよひこ氏。

 

あずまんが大王 (1) (Dengeki comics EX)

 

どうしてあんなに最高なのか、割と真面目くさって、今日は少し考えてみようと思います(笑)

 

 

目の表現が多彩!

現在の漫画界においては、表情のデフォルメを極端に単純化することで、感情をわかりやすい「記号」にするという方法論は、ごく当たり前な表現方法の一部となっています。

その中でも特に「記号」として用いられるのが「目」です。

日本語でも「目の色が変わる」とか「死んだ魚の目」とか、「目」という言葉を使って心の状態を伝えている表現は山のようにあります(「目は口ほどに物を言う」という諺がそれらを示唆していますね)が、漫画の世界ではそうした目の特性を最大限に活かして、感情表現の幅を広げています。

例えば、目を飛び出させて驚きを表現したり(ex.ルフィが死んだと思っていたサボと会った時)、笑った時の目を線で描いたり(実際の笑顔ではなかなかそこまでは瞼を閉じないでしょう)、目の輪郭をぐにゃぐにゃにすることで泣きそうな状態を表現したり、などが挙げられると思います。

 

このように、そもそも今日の漫画界で「目の記号化」が著しく進歩しているにも関わらず、よつばと!」における「目」の表現は、更に多彩なのです。

 

f:id:Ironyuc:20150225193529j:plainこれが普通のよつばの目。

 

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このように、実に多彩な記号=目が頻繁に使われるのです。1ページに2つ、多ければ3つも4つも異なる記号が使われることもあります。その証拠に、これは第一巻からしか撮って来ていません(笑)

このような表現は、コロコロと変わりゆく、そしてそれぞれが強く純粋なものである子供の心を描くためで、こうした記号は非常に相性が良いなと感じます。

アニメには出来ない表現!

 アニメと漫画の明らかな違い、その一つは「絵が動くかどうか」です。アニメは映画と同じで、大量のショットを連続して並べることで、動きを表現します。一連の動きを1カットに収め、カットを何十何百と繋ぎ合わせることで、一つのアニメ作品を作り上げていきます。

一方漫画は、動きがありません。動いているかのような躍動感を出すのはプロとしての技術ですが、実際に絵が変化する、動く、ということはあり得ません。動かないということは、つまり連続的じゃないということです。漫画のコマとコマとの間には連続性が無い(もちろん動きが滑らかに連続していないという意味で)のです。

 当たり前といえば当たり前です。しかしこれは、「よつばと!」がアニメに表現できない技法を使っているということの前提になって来るのです。

 

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カメラアングルも同じ、よつばの立ち位置も同じ、映っているものすべて同じ、違うのはよつばの表情だけ(上は綾瀬風香というお隣の三姉妹の次女)。変化したよつばの表情で特徴的なのは、さきほど説明した、記号化された目です。

アニメにはこういう表現は出来ません。まず前提として、1カットの中ではすべての動きは連続しています。そしてこのようによつばの表情以外が同じ状況で、カットを変えるということはほぼ不可能(例えば一瞬だけ黒画面にした後に表情だけ変わった絵を出すというのは可能ですが、漫画とニュアンスが異なってきます)ですから、連続的によつばの表情を変化させていくしかありません。

しかし!繰り返し話してきたように、よつばの目は「記号化」されているので、ある目から別の目へと変化する過程を描くことは大変難しいと言えます。というか、大変不自然ながらもなんとかそういう過程の絵を挟み込んだとしても、そこには漫画とは全く別の空気感が生まれるに違いありません。

 

漫画は動きと動きが非連続だと言いました。特徴のある瞬間と瞬間を繋ぎ合わせることで作品が出来上がりますが、これは別の見方をすれば、動作の過程を省略して描くことが出来る、ということに他なりません。だから目の種類だけを変えたコマを並べても、なんの違和感もないのです。

 

感情が目という物理的な記号によって固定されてしまったということは、逆に記号をどう扱うかということによってしか感情を扱うことが出来ないということでもあります。こうした記号の性質がある中で、「物理的な意味での自然な変化」も求められているアニメと、そこに縛られない漫画とでは、表現にも差が出るのは当然です。

 

で、「よつばと!」の上に載せたシーンにおいては、漫画固有の方法で、わずかな間に移り変わるよつばの心の動きが描き出されており、子供らしい感情の変化がとても良く伝わって来ると思います。

 

よつばは無敵だ!

冒頭でも紹介した通り、物語はよつばが過ごす日常を丹念に描いていくだけのものですが、それがとてつもなく面白い。

話題になっているのは、私たちが普段何気なく目にとめたり、使ったりしているものばかり。クーラー、インターホン、ブランコ、デパート、街の眺め・・・

でもどんなものも、よつばの目にとっては面白くて、新鮮に映ります。基本的には使い方を間違えたり、常識はずれなことをしてしまって父ちゃんとか綾瀬家の誰かにツッコまれたりして、読者に笑いを誘うというストーリーの構成なのですが、ただ笑えるだけではないのです。

 

ある日、家で遊んでいると、雲行きが怪しくなってくる。手伝ってあげると言って家に入ってきた綾瀬風香と一緒に洗濯物を取り込む。取り込み終わるや否や、雷の音がごろごろと聞こえてきた。「かみなりだ!」と言ってよつばは長靴をうんしょ、と履いて外へ出る。ばんざいのポーズをしてしばらくの間立っていると、ザザーッと土砂降りの雨が一気に降ってきた。ずぶ濡れになったよつばは笑いながら「おおー!すっげー!」とはしゃいでいる。風香はずぶ濡れになったよつばを心配そうに眺めているが、ここで父ちゃんが風香に言う。

 

「大丈夫大丈夫。あいつは何でも楽しめるからな。よつばは無敵だ」

 

土砂降りなんて、出かけるのはおっくうだし、洗濯は部屋干しになっちゃうし、何となく陰気だし、大人にとっては憂鬱な自然現象であることが殆どでしょう。

だけど、そんな大雨だって、よつばにかかればとっても楽しい一大イベントなのです。

あらゆるものに楽しみと驚きを見いだせるよつば。そのよつばに、周囲の人たちは楽しみと驚きを見出すのです。そうした描き方をすることで、「よつばと!」はただの「よつばが可愛いギャグ漫画」ではなく、「子供の純真さが胸を打つ名作」になることが出来たのかもしれません。

 

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