高慢と変態

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【感想:1Q84じゃなくて】1984年/ジョージ・オーウェル【1984だよ】

 今日はジョージ・オーウェルの「一九八四年」を紹介します(^ω^)

 

徹底的な監視社会のディストピアの中で、自由を恋人と共に模索する主人公が奮闘するも、最終的には完全な絶望の中で挫折してしまう、という物語。

 

そんな超大作について、見どころを詳しく説明しちゃいます!

 

1984年を未来の世界として描いた超名作SF!!

 

村上春樹「1Q84」が最近バカ売れしましたが、このオーウェルの作品が元ネタ?となっているのは間違いありません。

「1Q84」は1984年時の日本を舞台にした作品で、高速道路脇の非常用階段をゲートウェイとして、もう一つの1984年、つまり1Q84年に主人公の二人が入りこんでしまうお話です。これが出版されたのが2009年なので、1984年を振り返りながら描いた作品(別世界なので、振り返る、というのは少し語弊がありますが)です。

 

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

 

 

一方、本作が出版されたのは1949年、なんと1984年の35年も前のことなのです!

なのでこちらは「1Q84」とは異なり、未来の世界として、1984年を描いたことになります。こうした対比に基づいて読み比べていくのも楽しそうです。

 

全体主義ディストピア

 この出版年「1949年」というのが非常に重要な意味を持っている気がします。

第二次世界大戦が終結し、新たな戦争「冷戦」が幕を開けた時代。ソ連を筆頭とした社会主義圏と、アメリカを筆頭とした資本主義圏との対立が世界を動かしていました。

 

この作品世界は、ある国オセアニアを舞台にしており、"ビッグブラザー"という最高統治機関が、全国民を"完全に"統制しています。

そしてこのビッグブラザーが掲げるスローガンが、

 

  • 戦争は平和なり
  • 自由は隷従なり
  • 無知は力なり

 

というものです。戦争の肯定、不自由の肯定、無知の肯定が高々と称揚されているのです。

 

さきほど「完全に統制」と書きましたが、この「完全に」、というのはどこまでか。

 

例えば、行動。

国民の住居には、"テレスクリーン"という装置ー長方形のスクリーンで、薄型テレビのようなものですーが必ず複数備え付けられています。そのスクリーンからは、ラジオ体操、国営の番組や、敵国ユーラシアとの戦争における優勢を伝える臨時のニュース等が常に流れてきます。

その"テレスクリーン"の最大の特徴は、部屋を監視するカメラ・マイクの役割を果たしている、ということです。

この監視装置で"不適切"な行為を発見した場合には、すぐに当人を逮捕し、"愛情省"という更生施設=拷問施設に放り込むのです。

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例えば、思考。

オセアニアでの公用語「ニュースピーク」と呼ばれています。これは現在の英語の文法や語彙を極端に簡素化したものです。

驚くべきことに、作者ジョージ・オーウェルはこの言語を突き詰めて考えており、巻末にはニュースピークの文法の説明まで掲載されています。

 

この「ニュースピーク」の特徴を先ほど挙げましたが、何故このような不便な言語を公用語としたのでしょう?ビッグブラザー以前のオセアニアでは、従来の普通の英語=オールドスピークが使われていたのにも関わらず、です。

それは、思考の自由を奪ってしまうためです。

思考というものは言語によって規定されますから、その言語自体を弱体化させる、うまい言葉を見つけられなくさせる、という手段によって、ビッグブラザーは国民から思考の自由を奪い取ることが出来ると考えたのです。

 

徹底的な絶望によって気付かされる、自由への想い

この物語の主役は、ビッグブラザーによる超監視社会に対して違和感を抱いており、その思いを共有出来たかけがえの無い女性ジュリアと共に、この世界で何とか自由を手にする方法を模索していきます。

オセアニアには、不可触賤民としてのプロールという人々が存在します。その人たちの住居の中に、テレスクリーンが設置されていない家を見つけ、そこを隠れ家として利用したりするのです。そして信頼の置ける同志を増やしていくのですが・・・

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この物語は、徹底的に絶望的です。

一縷の希望も読者には残されることなく、幕を閉じます。

読後感は、まあ、沈鬱ですね・・・

 

しかし、だからこそ骨身に沁みて自由というものの高邁さというものに思いを馳せることが出来るようになる気がするのです。

 

今私たちが住んでいるこの社会は、オセアニアとどう違うのだろうか?

本当の自由なんかないのではないか?

そもそも本当の自由とはなんなんだ?

 

そうした、真正面から考えるのが何だか恥ずかしくなってしまうような話題について、真剣に向き合うきっかけを与えてくれるものです。名作中の名作だと思います。

 

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

それでは!