「凍りのくじら」/辻村深月
『あなたの描く光はどうしてそんなに強く美しいんでしょう』
『暗い海の底や、遥か空の彼方の宇宙を照らす必要があるから。そう答えることにしています』
「凍りのくじら」は、主人公の理帆子が、そのような強く美しい光と出会うまでの話なのだ。
この作品に関しては、構成や技術や思想について、抽象的に・論理的に考えていくのは控えて、僕が物語を読んで感じたことを記事を読んでいる人の中に注いでいくような、つまりは不可能で自己満足な方法で、語っていこうと思う。
そのためには、
・どうして「暗い海の底や、遥か空の彼方の宇宙を照らす必要がある」んだろう?
・「暗い海の底や、遥か空の彼方の宇宙を照らす」ためには、どうして強く美しい光が必要なんだろう?
この二つの疑問に答えていくだけで十分だと思う。
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・どうして「暗い海の底や、遥か空の彼方の宇宙を照らす必要がある」んだろう?
人間は時々、そういう場所にどうしても迷い込んでしまうことがあるから。
ひとりでは、そこから出る方法がわからずに苦しんでしまうから。
高校生の理帆子は、母の見舞いで訪れる病院で郁也という小さな男の子と仲良くなる。その郁也が、理帆子の元彼である若尾に拉致され、山中に放棄された冷蔵庫の中に閉じ込められたことを知った理帆子は、警察の出動を待たずに、たった独りで夜の山を奥へと分け入って行く。必死の捜索の結果、冷蔵庫と中の郁也を発見するが、郁也の意識は無く、心臓の鼓動も、止まっているかと思うほど弱いのか、それとも本当に止まっているのかわからない。早く病院に連れて行かないと。しかし無我夢中で探し回ったので、今自分が置かれた位置も、山から出る道筋もわからない。街の明かりから遠く離れた漆黒の山奥を、理帆子は衰弱した郁也を背負いながら、泣き出したいほどの焦燥と絶望とに憑りつかれながら駆け回る。
・「暗い海の底や、遥か空の彼方の宇宙を照らす」ためには、どうして強く美しい光が必要なんだろう?
直接には助けてやれないことがあるから。
絶望の中の彼の腕を掴んで引っ張り上げることが出来ないことがあるから。
それでも、絶望の中の彼に気付いてほしいから。
諦めるなと。絶対に諦めるなと、どうしても伝えたいから。
絶望の理帆子の前に光が振り動かされる。高校の先輩の別所あきらだった。何故ここにいるのか、理帆子にはわからなかった。「よく頑張ったね。―大丈夫、郁也は絶対に助かる。君が助けるんだ」そう言う別所に先導されながら、理帆子は疲れ切った身体を、更にその上に郁也を乗せ、一歩一歩と街の方へ下りていく。ところで、何故男の別所が郁也を背負ってやらないのだろうか。どうして今にも倒れそうな理帆子が背負い続けているのだろうか。その真相は勿論本作を読んで確かめて欲しいが、別所にはどうしても彼女を直接に手伝ってあげることが出来ない事情があった。それでも別所には、理帆子に伝えなければならない想いがあって、理帆子を助けなければという想いがあった。どこまでも真剣で、温かく、やさしい想い。別所がかけてあげたあの言葉は、強く美しい光そのものではなかっただろうか。
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そもそも不可能で自己満足な方法なわけだが、改めてうまく伝えきれないという想いに歯がゆさを感じる。
それでも、敬意を表して、書く。
その辻村深月に憧れて作家になる人が現れることを期待しながら。