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「フーコーの振り子」/ウンベルト・エーコ

今日はウンベルト・エーコ作「フーコーの振り子」について紹介します。

フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)

フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)

 

 

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嘘から出た真(まこと)、という諺がある。


嘘のつもりで口にしたことが、実際に起きてしまうという奇妙な偶然を指す言葉なのだろう。仮病を使って昼までベッドで寝ていたら本当に具合が悪くなってしまったり、寝坊にも関わらず電車が遅延していると嘘をつき、駅まで行くと人身事故で通勤客がごった返していたり、ということがあり得る。しかし、偶然だけが嘘を現実に変化させるわけではない。人間は、嘘を真にする錬金術師の才能を持ち合わせているのだ。100万円のヴィンテージギターを持っていると嘘の自慢をしていたら、友人に見せろと言われ、今更嘘でしたと白状し辛いがために、貯金をはたいて購入してしまう。程度の差こそあれ、人間は虚栄心を満たし、プライドを守るためであれば、多少の犠牲を払って現実を作り変える労を厭わない生物である。


では、それが嘘のままであれば、何も変わらないのかと言えば勿論そうではない。ここで、先ほど登場頂いたヴィンテージギターの嘘をついた男性(27歳・社会人・独身)に再びお越し頂こう。今回は、友人に証拠を要求されなかったために、幸い100万円を口座から下ろさずに済んだところから物語が始まる。調子づいた彼は、飲み会の席や、通い詰めていた近所のバーなどでもその話をした。周囲が驚き、強い興味を示してくれることが嬉しかったのだ。ある日、会社から帰って来ると、家が嵐に遭ったかのように荒れている。床には物が散乱し、引き出しは全て開けられ、割れた窓から風が吹き込んでいる。朝とはうって変わった自宅の有様に呆然と立ちくしていた彼の背後から、突如男が襲いかかり、金槌で後頭部を砕かれる。床に倒れ、掘り当てられた石油のように後頭部から血液が迸る。血だまりに顔を突っ込み、朦朧とする意識にかろうじて届いた男の声、「ギターはどこだ!」。この強盗は、男性が通い詰めていたバーでギターの自慢をした時に偶然居合わせた男だったのだ。逮捕後の取り調べによれば、株で大失敗した直後だったと言う…

陳腐なストーリーで恐縮だが、何が言いたいのかと言えば、嘘はそれ自体では現実ではないが、それが「言葉」という船に乗って人間の意識に着水し、そこに波紋を広げる以上は、人間の行為、ひいては現実に影響を与えるものである、ということが言いたいのだ。(ところで、「嘘」という漢字は本当に良く出来ていると思う。口に虚しい。存在しないことを言葉にするからだろう。空き缶に「クッキー」と書かれたシールを貼れば、嘘の出来上がり。)

 

 

僕は、今日紹介する小説「フーコーの振り子」を、そのような真空に翻弄される人間たちの悲劇として紹介したいのである。

著者であるウンベルト・エーコは、記号論の権威であると同時に、処女作「薔薇の名前」で世界的注目を集めた作家でもある。本作のテーマが彼の研究領域における主張と地続きであるため、記号論的側面からの分析も当然可能であるが、遺憾ながら門外漢である私には不可能である。記号論の概念に頼らずに、僕が読んで理解したその個人的な構造・図式に基づいて語るしかない。

 

物語は主人公カゾボンが、パリ工芸院に赴き、設置されたフーコーの振り子やら、車やらガラスやら動物の剥製やら、とにかく近代科学が獲得してきたあらゆる成果の陳列を眺めて回るところから始まる。そして彼はどういう訳か、閉館後もここに残るために、警備員に見つからないような場所を探し回り、良い隠れ場所を発見し、身を潜める。お目当てのもの?人?が現れるまではどうやら大分時間があるようで、閉館後、狭い隠れ場所で彼は過去を回想する。本作の90%(決して誇張ではない!)はその回想に占められ、古い過去まで遡って記憶を辿り、物語の最後になってやっと現在に復帰する構成になっている。


回想はカゾボンが学生の頃から始まり、行きつけのカフェ「ピラデ」で出版社勤めのベルボとディオタッレーヴィと知り合う。カゾボンの研究分野がテンプル騎士団であること、出版社の扱う書籍がフリーメーソンやらテンプル騎士団やら錬金術やらであったこと、この近接性が彼らの関係性をも近づけていく。
ある日、出版社に持ち込みたいと言う退役軍人の話を3人は聞くことになる。神秘解明の調査中に、秘密の暗号が書かれたメモを手に入れ、その暗号を解き明かしたというのだ。神秘思想を真に受けて、この世界の秘密を私は解き明かしつつあるのだ、と熱弁する彼の話は、荒唐無稽で非科学的だった。呆れた彼らは、丁重な態度を保ちながら、哀れな老人にお帰り頂いた。翌日、3人の元に刑事が現れ言う事には、あの退役軍人があの打ち合わせの後の夜に自宅で死亡していたという。更に奇妙なことには、ベッドに安置させていたはずの死体が、今朝には無くなっていたのだ…


このサスペンス的展開の後、多くの魅力的な登場人物たちが物語に七色の光沢を与えることになるのだが、ここでは関係する筋だけを取り出して紹介させてもらえば、先の3人はそうした登場人物を通して神秘思想やこの世界の秘密に関する「お話」をこれでもかと聞くことになる。次第に彼らは、そうした「秘密探し」に自分たちも没頭し始めるのだ。もっとも、彼らの共通認識としてはただの「ゲーム」なのだが、彼らに持ち込まれる情報をパズルのように組み合わせ、持ち込んでくる胡散臭い奴らよりも精巧に論理を組み立て、遂には彼らの周辺では最も神秘思想に精通した紳士アッリエにすら届かなかった神秘思想の深奥に到達する(と思っているだけ、なのだが)。あの退役軍人よりも遥かに正確な、あのメモに書かれた暗号の解読を果たしたのである。

秘中の秘を発見してしまった2人(ディオタッレーヴィは物語の途中でいなくなる!)は、現代に残る神秘思想を追求する集団TRESに追われることになる。もちろん、2人を捕えて秘密を吐かせるためだ。


唐突だが、カゾボンには妻がいた。リアは神秘思想に遊び半分で熱中している夫を快く思っていなかった。カゾボンはリアに、自分たちがどれだけ秘密を解き明かしつつあるのかを、退役軍人が手にしたメモのコピーを見せながら、現実に埋もれた妻の説得を試みた。賢いリアは、そのメモを良く良く調べることで、それが中世フランス商人の走り書きであるという事実を突き止めてしまうのだ。


何と言うことか。ただのビジネスのメモ書きに膨大な時間と情熱を注ぎ込み、そのせいで陰険な連中に追われることになってしまうとは。そしてTRESもまた、ただの覚え書きのために仰々しい儀式や戒律を守り、人を殺めることすら躊躇わない暴走機関者と化してしまうとは。秘密など存在しなかったとは。
真空に宝を追い求めても、永遠に到達できない。その真空の周りをぐるぐると走り回ることしかできない。このハリケーンは、現実に存在する大切なものをなぎ倒しながら、そして台風の目に真実が眠っていることを信じる人々を加速度的に巻き込みながら、当てどもなく時空を移動していくのである。
厳密には上で言ったような「嘘」の話ではないが、構造は同じだ。つまり、空き缶に「クッキー」と書かれたシールを誰かが貼ってしまっている状態なのは、嘘と変わらない。違うのは、その缶の中が空っぽだと誰も知らないということだけだ。それを開けて証明できないとは、嘘よりも質が悪い気がする。


長たらしい紹介文に辟易して、途中でお気に入りバーからFacebookに飛んだ方が殆どだろうが、最後まで読まなければ気が済まないという気の毒な方のために、この小説には上に挙げた以外の魅力も沢山詰まっていることを伝えたい。恋愛の細やかな幸福が時々雲の隙間から射し込んできたり、詩と呼べるような色彩溢れた美文が、神秘思想の魅力を読者にも納得させ得る程の色気を醸したり、南半球まで及ぶ広大な舞台は著者の信じがたい知識量によって建設され、五感すべてが活字の世界に飲み込まれたりする。

是非、一読をおススメします。

 

フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)

フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)